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楽毅を宮城谷昌光 歴史小説でアツく語ってみる「中山国 編」

 

中国歴史小説といえば、宮城谷昌光先生の歴史小説がアツいですよね! 数ある作品のうち、今回は「楽毅」についてアツく語ってみたいと思います。

 

目次

楽毅の青年期
中山国が「王」を称える
趙が、中山国攻めを
楽毅、名声が拡がる
隗より始めよ

 

楽毅の青年期

楽毅の青年期 小説の1ページ目を開くと「楽毅の世界」という地図が見れるのですが、
楽毅が生まれ育った「中山国」エゲツない位置にあります。

戦国シミュレーションゲーム コーエー信長の野望でいうと、
武田、上杉に挟まれた真田、、、
よりもヒドい位置です、

 

左に趙国
上に燕国
右は斉国

 

宮城谷昌光先生 歴史小説「楽毅」1ページ 楽毅の世界

 

と10倍以上の大国が、
中山国を囲むように、いや、密封するように存在しています。
この3国の中心に ぽつっっっっっっっっっっっっっーーーーんと あるのが、 中山国 楽毅の国です。

よく存在するなーーーと。
ここは国同士の牽制もあり、 中山国もうまく外交を活用しながら戦国の世を生き抜いているんですね。
こんなデンジャラスゾーンで生まれ育った楽毅ですが、 父は、中山国の宰相です なので、楽毅も大人になると宰相になるべく、育てられます。 貴族の息子ですね。

 

楽毅が生まれた時で、中山国創建から80年ぐらいですが、 大国の挟まれた状況ですから、長年、外交を駆使して、駆け引きしつつ、なんとか生き抜いてきた80年。
の様な気が勝手にしています。

 

ただ、戦いの無い時期が長くなると、

 

甘えがでるのか?
勘違いしてしまうのか?

 

中山国が「王」を称える

中山国が「王」を称えるんですね。
当時は、周王を頂点として、国の大きさ、偉大さを爵位で 公、候、伯、子、男 とランク分けして、周王から爵位をもらってたんですが、 時代が時代、周王朝の権勢も弱まってくると、 強い国が勝手に「王」を称え始めます。 もちろん、お隣の大国 斉も王を称えます。

 

それを見た、中山国も

 

「やべぇ、王、ちょーいいじゃん、みんな称えてるし」
「オレもいいんじゃね???」

 

と勝手に王を称えるんですが、
「念のため、斉に許可とっておくか」となるんですが、
斉からしてみれば、

 

「は?」
「はぁ?????」
「いやいや、中山でしょ?あんた中山でしょうが」

 

と小国のクセに何言ってんの! バリに怒られるんですね。
ただ、どうしても王になりたい中山国は、ここで、

 

「斉だめなら、燕と趙に許可もらおう」

 

となり、許可もらっちゃいます。
斉からしてみたらメンツ丸潰れですよね。 これをキッカケに、国交が断絶します。
中山国王、斉を敵にまわしてまで、名乗っちゃったんですから、自分たちは強い!外交でなんとかなる!なんて、相当自身があったのか?

 

そして、これが中山国を孤立させるための、趙国の遠大な計画なんですね。
戦国の世で絶対にやってはいけないのが、

 

孤立です。

 

逆にいうと、相手国を滅ぼしたいなら、 孤立させることですよね。
趙はこれを行います。

 

当時は、燕は斉の傘下になっていましたので、斉と断絶すると、もれなく燕も付いてくるということに。

 

ということは、仕掛け人、趙なので、 ここで、中山国、 見事に孤立しちゃったんですね。
中山国王、気づいていたのか? なんとかなる!と思っていたのか? そんな、嵐の前の静けさ的な状態の時代が 楽毅の青年時代です。

 

趙が、中山国攻めを

この数年後に、 案の定、趙が、中山国攻めを行います。
楽毅も父と共に戦いますが、 もう孤軍奮闘なんですね。
趙国は大国ですから、大軍で攻めてきます。 数年持ちこたえますが、結局、小国の中山国は滅んでしまいます。 中山国王、意地なんでしょうか?なんなんでしょうか? 最後まで「王」の冠、下げません。

 

早く下げて、斉に謝って、援軍頼めばいいのに。と思うんですがっっっw

 

この戦いで楽毅の父も亡くなります。 楽毅も最後までゲリラ戦で戦いますが、結局は国が滅び、亡国の将軍になるんですね。

 

楽毅、名声が拡がる

人間、目標失うと、モチベーションも下がりますよね。 小説では、楽毅の心情をしみじみと描いています。 ただ、この戦いで隣の燕では、

 

「中山国に楽毅って、いい感じの将軍いるらしいよ」
「趙軍相手に勝ちまくったらしいよ」

 

と楽毅の噂が燕まで届きます。
燕国は、斉の傘下になっていますが、 元々は、国内が乱れた時に、斉に援軍を求めたら、騙され、滅亡寸前まで追い込まれています。
つまりは、表向きは、

 

「斉さん、がっちり付いていきまっせ!」

 

なんですが、
裏では

 

 

「あの時の怨み、忘れるものか!」

 

な感じです。
ただ、滅亡寸前から立ち直ったばかりの燕ですので、国力もまだ乏しく、大国 斉には全く歯が立ちません。 なんてたって斉は、 あの「孫子の兵法」で有名な孫臏率いる、最強の軍団持っていますからね。

 

兵法ありの、連弩ありの、兵隊多いの。 まぁ、太刀打ちできません。

 

そこで、燕国 昭王は、 斉に恭順の意を示しつつも、国力の増加と、そして、 有能な人材発掘に力を入れます。 この人材発掘では有名な言葉、

 

隗より始めよ

「隗より始めよ」

 

がありますよね。
これは、有能な人材を集めたいと思った昭王が(燕は北の果てで人材が集まり難かった) 臣下である郭隗に「どうすればいいか?」 と質問したところ、

 

「私を、厚遇すればいいんです」
「そうすれば、私より有能な人材は、郭隗で、あんな厚遇されんの?」
「だったらオレ、もっと厚遇されんじゃね?」

 

と良い人材が集まりますよ。ということで、 「隗より始めよ」 という言葉生まれました。
余談でしたが。 楽毅の噂を聞き、昭王は、熱望します。
なんとかして、燕に楽毅を!と考えるんですね。
中山国 編はここら辺で。 次回は楽毅 本番の燕国 編を書いてみようと思います。