歴史は語る、時代は語る・エンジョイ!小説

島津義弘を池宮彰一郎先生「島津奔る」でアツく語ってみる

 

今回は、薩摩を率いる島津義弘を語ってみたいと思います。
ボクの中では、歴史小説で池宮彰一郎先生「島津奔る」は、ベスト3に入る面白さです。

 

小説の中では、島津義弘はもちろんですが、その周りを固める、長寿院盛淳や新納旅庵、そして、アニメ ドリフターズでも大活躍の島津豊久など、人間味際立った人物たちが、ほんといい味出して表現されています。さすが!池宮先生!


島津豊久が主役のドリフターズ

 

余談 島津豊久について

ちなみに島津豊久は、
島津義久、義弘の末弟、島津家久(四男。ちなみに三男は歳久)の子です。
父である島津家久も兄二人に似て、戦い上手(島津家は歴代強い!)でしたが、豊臣秀吉の九州征伐の時に、秀吉の弟である秀長に毒殺された、と噂されています(島津家は後に降伏)。
後に、豊臣秀吉から家久所領(日向佐土原)は義弘嫡男の久保に与えられましたが、久保も朝鮮出兵で亡くなり、その後、島津豊久が引き継ぎます。

 

島津義弘の朝鮮出兵

池宮彰一郎先生「島津奔る」では、朝鮮出兵中の真っ只中から始まります。
この頃の豊臣政権率いる日本軍は、まぁ冬は寒く凍死はするし、戦的には、悪戦苦闘の連続で、補給もままならない状態。

 

ただ、豊臣秀吉が「撤退」と言ってくれない限り撤退もできず、二進も三進もいかない状態です。

 

そんな中で、島津義弘率いる島津軍はどこに布陣しているかというと、朝鮮半島の南端にある「晋州」に泗川新城を築き滞陣しています。

 

朝鮮半島に攻め入っている日本軍としては、これ以上は、攻めるにも物資・戦力が足りず、退くにも秀吉の命令がないと退けない状態。で

 

「どうしよう????っっっw」

 

な感じです。
そんな時に、豊臣秀吉、亡くなっちゃうんですねっっっw

 

これ、朝鮮・明国(中国、朝鮮を助けるために参戦)に漏れてしまうと大変ですよね。
敵国の真っ只中にいるわけですから、敵の士気もあがりますし、住民蜂起も考えられます。

 

まさに、ヤバい状態。

 

そして、本国(豊臣政権奉行)からの指示は、
「秀吉、亡くなっちゃたんで、敵と講和するか、一戦して退けて本国に帰還してね」

 

という無理難題なもの。
そもそも、なんとかギリ、いまの状態を保っている感じで、もう戦力もなく物資も乏しいっっw

 

島津家 必殺の釣り野伏せ

そうこうしている内に、朝鮮・明国連合軍が迫ってくるんですね。
約20万の兵です。

 

島津陣に向けて南下して来ます。
それに対して、島津兵は

約7千、、、、

 

これはもう逃げるしかありませんっっっっw
敵さん、約30倍です(*_*)

 

島津義弘に決断の時が迫ります。
周りの部将からは、

 

「退却しましょう!無理!」
「他軍から援軍を頼みましょう!」
「どうしましょう?????涙」

 

など、色々な意見がでますが、ここはさすがは名将 島津義弘。

 

「いや、撤退とかしないから、島津だけで戦うから」

 

と決断します。
この状態で、撤退しても、住民蜂起に合えばいずれ全滅。
そして、なにより「島津が一目散に撤退した」なんて知られれば、確かにこの時は生き残るかもしれませんが、他国の侮りを受けます。

 

そうなんですね。島津義弘、この時、
朝鮮の戦だけを考えておらず、

 

再び天下が乱れること

 

を考えて、すでに行動しています。
20万の連合軍と戦って、例え、全滅したとしても、

 

島津恐るべし!

 

となれば、後々の天下が乱れた際も、自ずと島津を軽く扱えなくなります。
プライドというか、意地というか、名の重みを選択するんですね。

 

そして、ヒタヒタと20万の連合軍が迫って来ます。
ここは、小説、是非読んでください!熱いんだなー!
川上忠実も熱い!中馬大蔵も熱い!

 

まぁ、20万の敵軍に突出するわけですから、普通じゃあいられません!
そして、島津家必殺の技

 

釣り野伏せ

 

が炸裂します!
この釣り野伏せ、豊臣秀吉の九州征伐でも使った、大技です。
この仕掛けがスゴい!そして決まったときの威力もハンパない!

名将 島津義弘の釣り野伏せの策略の前に、見事にハマった朝鮮・明国連合軍は、
20万いた大軍が壊滅しますっっっw

 

まさに、チェストっっっっっっっっ!

 

鬼神のごとく恐れられ語り継がれた石曼子(シーマンズ)

この戦いで島津家は、現地では、

 

石曼子(シーマンズ)

 

と鬼神のごとく恐れられ語り継がれたみたいです。
この島津家の活躍で、日本軍全体が助かるんですね。
これで、撤退の目処が立ちます。

 

諦めきれない朝鮮軍は、撤退途中の日本軍に対して海上で、海軍名将 李舜臣(りしゅんしん)が立ちはだかります。
この海戦も、なんとか李舜臣率いる敵軍を打ち破り無事に帰国の途につきます。

 

 

朝鮮帰国後の覇権争い

この朝鮮帰国からが、
徳川家康の駆け引きありーーーの、石田三成の駆け引きありーーーーの、と動乱の時代になっていきます。

 

まず大きな出来事としては、
最後の砦というか、豊臣政権の柱、

 

前田利家

 

の死です。
豊臣政権で唯一、徳川家康と対等に渡り合える人材。
前田利家が無くなることにより、徳川家康は動き出します。

 

まずは、前田家に「叛意」という噂を流し、前田家を討伐しようとします。
前田家は、利家がなくなり、利長の代です。

 

利長、これに毅然と対応すれば良かったのですが、ビビってしまって、
申し開きの、人質だしーーので、慌てふためいて、なんとか徳川家康に許しを乞う形になるんですね。

 

なんとか許されるんですが、これで完全に徳川家康に掌握されます。
徳川家康と謀将 本多正信は、このやり方で、次は、

 

上杉景勝

 

に脅しをかけます。
上方にも上洛せず、武具を揃え、兵を訓練する。
謀反の疑い、上洛して説明せよ。

 

と脅すんですね。
前田家とほぼ同じやり方ですが、さすがは武神 上杉謙信公の家、ここで有名な

 

直江状

 

直江兼続の有名な返書ですね。
簡単に言うと

 

「はぁ?ウチはウチ、内輪でやってること勝手にケチつけるんじゃないよ」
「田舎は武具を磨くことが趣味みたいなもんなんでほっといて」
「謀反、謀反ってなんの証拠があって言ってんの?やりたいことバレバレだよ」

 

など、家康がやっていることなどをあげつらい、痛烈に批判します。
これをキッカケに徳川家康は、上杉討伐に乗り出します。

 

表向きは、
豊臣政権に謀反する上杉家討伐

 

です。なので、豊臣秀頼より命令を受ける形をとり、討伐に乗り出します。
ここからが戦乱の、そして関ヶ原の戦いに発展していくんですね。

 

石田三成の挙兵

徳川家率いる討伐隊が、上杉家と戦う為に北上していきます。
そして、その隙を狙って、石田三成が、挙兵します。

毛利家を筆頭に、宇喜多、安国寺、長束、鍋島、長宗我部、増田、小西、脇坂、、、など30家以上が参加し、兵数は8万以上。

 

なかなかの軍勢!
石田三成、企画させると日本一!
素晴らしい実行力です。

 

これを察知した徳川家康も、上杉は一先ず、伊達勢などの北陸チームに任せて、
南下していきます。

 

徳川勢も、 討伐隊の軍勢がそのまま残っていましからね。
兵数はウィキだと7万~10万ぐらい。

 

ここで毛利筆頭のプロデュースby石田三成 西軍

徳川家康率いる 東軍

 

の戦いが始まります。
そして今回の主役、島津家は何をやっているかと言うと、
ちょうど

 

荘内の乱(伊集院忠真を中心とした乱)

 

があり国内が不安定。結局 徳川家の仲裁で落ち着きますが、まだ油断できない状態。
そして、島津義弘は上方にいます。
大阪、京都付近にいるのですが、島津義弘率いる兵数300。

 

少なっ!!!!

 

なので、義弘も再三、国許に兵をすぐにこちらに送るように催促します。
島津義弘は、早い段階で、大きな戦になる予感を感じてたんですね。

 

ただ、再三の催促に関わらず、
国許では、義弘に変わって代理で収める子 忠恒 と 義弘の兄 龍伯 が、この国内不安定の中、兵を出すことを渋ります。

 

途中、島津豊久の率いる兵などが合流しましたが、700程度
如何に最強の島津兵、名将 島津義弘が率いたとしても
700だと戦いようもありませんっっっっw

 

島津家としては、兵を出さない。という方針に決まったのですが、
これが、国内で漏れます。

 

そうすると、島津義弘を慕っている島津家家臣は、
「なにぃっっっっ!殿さぁがピンチだと!」

 

となるんです!そして、それを知った薩摩隼人、
島津義弘のいる大阪方面へ、各々勝手に走り出すんですね!

 

「オレらが、殿さぁ、助けっっど!」

 

これ、この時代いう、

 

国抜け

 

なので、打ち首です。当時重罪です。
島津家の歴史をみてもありえない行動、、、、
これを知った、龍伯は激怒して、全員捕らえて打ち首にしろ!といいます。

 

ここで島津義弘の嫡子 島津忠恒、めっちゃいいこと言います!

 

「伯父上(龍伯)言うこともわかります。ごもっともな意見ですが、国抜けの罪に問い、首を切るのは承服できません。確かに罪ですが、あるじの危機に数百里を物ともせず、一心不乱に走る、その意気は荘、その至情は純、これが薩摩!」

 

と認めます。(詳しくは、池宮彰一郎先生「島津奔る」を)
ただ、これ以上はダメよ。と釘は刺しますが。

 

これが後世に残った

「島津家中、上方へ罷り通る」

 

です。もちろん途中、野盗だの敵だのいるはずですが、すでに島津の名は、最強で響き渡っていますから「あの島津じゃね?ヤバイっしょ!手出したらやばいでしょ!」となり、そんな奴らも手を出さなかったみたいです。

 

関ヶ原の戦い

1千人ぐらいが国抜けし、ケガ人がありの、実際に戦いに参加できそうなのが、
700人。これで、島津義弘勢 1400人。

 

これでもまだ全然足りません。
ただ、もう戦いは目前に迫っています。

 

一度、伏見城に籠り西軍と戦う予定だった島津ですが、徳川に断られ、止むを得ず西軍に与します。
1400人といっても全員戦うわけではありませんので(兵站、諜報、連絡係など)、実際は1000人ぐらいの戦力。

 

この状態で関ヶ原の戦いへ突入します。

 

関ヶ原の突風の中、島津陣営、不動の構えを取ります。
ほぼ戦わないんですね。

 

西軍も、あまりの島津勢の少なさに既に当てにしてません。
端っこで、関ヶ原の戦いを傍観している感じです。
ただ、たまに東軍の兵が、これよとばかりに攻めてくることがあるのですが、全て弾きとばします。

 

鉄壁の傍観ですね。

 

攻めず、退かず。
攻撃しないけど、仕掛けたらただじゃ済まないよ。

 

の姿勢。
東軍も他家が島津に攻めて木っ端微塵にされるのを見て

 

「いやいや、島津、ヤバイっしょ!あそこ攻めたらダメでしょ」

 

となり、見て見ぬ振り、素通りっっっw
です。さすが最強島津!

 

そうこうしている内に、西軍が敗れ、関ヶ原の決着が着くんですが、
この大激戦の中、まだ静寂を溜まっている島津勢、東軍からしたら、

 

恐い

 

どうするの?
島津、どうするの?
戦い、終わったんだから、降伏だよね?
たぶん、退くよね?

 

島津勢、前方には東軍、更にその先には徳川本陣。
そして、後ろに退けば、薩摩方面に帰れます。

 

島津勢の突出!

島津義弘、
「全軍、突出!」

 

東軍真っ只中に突っ込みます。
東軍、

 

えっっっっっっっっっ!
いやいや、もう戦い終わったっしょ!
退いてよ~涙
その兵力で??????

 

まぁ、東軍からしてみれば、嫌で嫌でしょうがないですよね。
最強島津が少数(この時 600)とはいえ攻めてくるんですから、でも黙って見過ごすこともできないので、東軍きっての名将たちが島津勢に襲いかかります。

 

まずは、黒田長政率いる黒田家、
黒田家 武将 後藤又兵衛に「あの士気はヤバいから攻めない方がいいっす」
で、島津さん、どうぞどうぞ。

 

細川忠興率いる細川家、
ビビって狼狽

 

そして豊臣恩顧、最強の福島正則率いる福島家、
先鋒の福島正之隊1000 苦もなく撃砕

 

これを見た徳川家康、徳川家最強の二人
本多忠勝、井伊直政勢の万全体制で島津勢に襲いかかります。

 

この最強の二人でも止めることができません。
奮戦なり、そのまま、徳川本陣に向かってきます。

 

そして、徳川本陣を突っ切り、そのまま旋回して、
島津領土、薩摩への帰還劇が始まります。

 

東軍からしてみれば、本陣突っ切られて、そのまま生還されては面目も保てず、しかも、あの最強島津が、義弘でまとまれば、国許には1万前後の兵がいますので、これまた危険。

 

西へ帰る島津に対して、豺狼の様に襲いかかります。
この帰還劇の時間稼ぎに島津豊久がしんがりを務めます。
島津家の策

 

ステガマリ戦法

 

今で言うゲリラ戦ですね。
林の中に数人の鉄砲隊を配置して、狙撃しながら退いていく。

 

この戦法で、名将 井伊直政は狙撃され重傷を負います。
そして、島津豊久も最後は井伊直政率いる軍勢に突出して最後を迎えます。
マンガ、ドリフターズでは、ここから始まりますよね。そうなんです、島津豊久の激アツシーンなんです。

 

島津義弘と徳川家康の駆け引き

数百人いた島津勢も数十人、数人規模になりますが、なんとか国許に帰還することができます。
徳川家康が一番恐れていたことが起きてしまうんですね。

 

戦いでは最強の島津家。
前田家の様にはいきません。

 

難癖つけて攻めようなら「いいよ、どうぞどうぞ」です。
なので、外交で片付けようとします。

 

ただ、島津義弘も外交能力、戦い並みに半端ありません。

 

西軍に与した家は基本、断絶、打ち首です。
そりゃそうですよね。反乱軍ですから。

 

そして、東軍に与した家に報酬も与えないといけないので、土地が足りません。
なので、西軍の家、取り潰して、空いた土地を東軍に割り得てる必要があります。

 

島津領も例外ではありません。
60万石ありますからね。徳川家康からしてみれば、欲しい!

 

なので、外交で脅し、すかし、うまくやろうとしますが、
ここでも、島津義弘が一枚上手。

 

詳細は、小説を読んでもらえればと思いますが、結果、
お家取り潰し、どころか、

 

本領安堵
琉球国切り取り次第

 

という、なぜか、褒美的なものも。
西軍で唯一。
というか、負けたのに、褒美???
結局は島津の言うことに逆らえず、強くも出れず、

 

島津、敵にまわせば、難敵。

 

日本国中がそう思っているので、徳川家も、天下が治ったばかりで、揉めたくない。
というのが内情。

 

この島津との交渉を最後に、天下は収まり、徳川政権の時代が訪れます。
徳川家康は遺言で「オレが死んだら、武装させて西側に向けて葬ってね」と残したみたいです。徳川家を倒すのは、西方諸国と予言していたみたいですね。

そうなんですね。250年後に明治維新が起き、島津、長州などの西方勢に徳川幕府は倒されます。

島津義弘は、あの世でどう見つめていたのか?
考え深いものがありますよね。

池宮彰一郎先生「島津奔る」は面白いので是非読んで見てください。


ついでにドリフターズも面白かった。こちらはアニメの方で見ました♩


島津豊久が主役のドリフターズ