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晏弱・晏嬰を宮城谷昌光先生「晏子」でアツく語ってみる vol02

 

前回、晏嬰の父 晏弱について書いて見ました。
今回は、その晏弱の残した軌跡と晏嬰について書いてみようと思います。

前回記事はこちら「晏弱・晏嬰を宮城谷昌光先生「晏子」でアツく語ってみる vol01

 

斉の霊公、萊を攻める

晋にボコボコにされた斉ですが、
国力回復のために、内政の充実を図ります。
そして時が経ち、斉の霊公は、自国の東にある萊という国を取ろうと考えます。

 

国力も充実し、国土を増やしたいと考えての戦略だと思いますが、
しかも、あの太公望も手こずった萊。これで、萊を取れれば、一つの偉業です。

 

結局、攻めて見たんですが、、、
戦略がばれて、危うく奇襲に会いそうになり、ここは晏弱の機転により斉軍はなんとか無事に生還します、、、が、

 

世間では、
「霊公、萊取れなかったらしいよ」
「なんか国境あたりまで行って、ビビって帰ってきたらしいよ」
「牛馬だけもらって帰還したらしいっっw」

 

など笑い者です。
結局、内通者もいて、事がバレていたのですが、
これで諦めることもできず、晏弱を将軍に抜擢して、萊攻略を一任します。

 

第二次戦略です。

 

晏弱の萊攻め

晏弱の将軍抜擢に、昔からの側近というか、仲間である

 

蔡朝
南郭偃

 

が祝いに自宅を訪ねてくるんですが、
ここで10歳ぐらいであろう晏嬰を紹介されます。
父 晏弱としては、仲間である二人に、後継者である息子を紹介しておきたいのと、晏嬰をどう思うのか?の意味も踏まえて紹介をしたのですが、、、

 

二人からしてみれば
「…体が小さいっっっw」
「本当に10歳???」
「こんな貧弱で大丈夫???」

 

と晏氏一族を想う二人からすると、かなりの不安っっっw
しかし、蔡朝や南郭偃、二人して晏嬰に色々質問してみるんですが、その声の大きさと明確さに驚き、、、

 

「いやいや、体、こんな小ちゃいのに、声と肝っ玉でかっ!」

 

な驚きがあります。
この頃から晏嬰の知識と才能はズバ抜けていたみたいですね。
ただ、二人は心配になります。

 

晏嬰の言うことは、真っ直ぐで筋が通っているのですが、この世の中で、そんな馬鹿正直に自分を通して、生きていけるのか?

 

まぁ、これを生涯貫き通して歴史上の人物となるんですが、
それはまた後ほど。

 

そして、晏弱将軍率いる萊攻略が始まります。
戦略家の晏弱としては、前回の霊公の様に、大軍での力攻めをしません。

 

萊をよく調べて、
どうやら統治が、重税などでうまくいっておらず、民も懐いていないことを調べ上げ、村々をまずは調略していきます。

 

その上で、萊攻めに入るんですね。
萊は結局、兵が集まらず、晏弱の戦略により孤立無援になり、ついに萊は晏弱の手によって滅びます。
ここは、かなり面白い下りなので、是非、宮城谷昌光先生の「晏子」を読んで見てください。

 

晏弱はこの功績により、萊の統治を任されます。
ここで、晏嬰も子供ながら、父と一緒に領土の統治方法を学ぶんですね。

 

晏嬰の才能

年を重ねるごとに才能を発揮していく晏嬰ですが、
中々、周りからは素直に認められません。

 

なぜなら、一族は、武で名を上げてきたのに、
晏嬰の才能は、文。

 

ここが、家臣からしてみても不安な部分だったみたいです。
後に、夷維という領土を父から引き継ぎ、晏嬰が運営していくのですが、晏嬰の民を慈しむ行動や、善処など、立ち所に噂になります。

 

民からも信頼を得るんですね。

 

ただ、家臣からは、、、相変わらずです。
なぜなら、前述の内容以外に、晏嬰ですが、

 

めっちゃ倹約家

 

なんです。
自らが質素倹約に努め、肉もほとんど食べない。

 

そうすると、家臣も、晏嬰以上の生活や、食事はできませんので、自ずとっっっw

 

「晏嬰、吝いわっっっっw 涙」

 

となります。
晏嬰曰く

 

「貯めた財は、万が一のために民に使うべき」

 

という名言。
ちなみにボクはムリですっっw
ほぼ毎日肉食べてますしっっっw と余談ですが。。。

 

丈夫の飾り

そんなこんなしている内に、晏嬰も二十歳になり、
霊公の側で従えることになります。

 

ここで起きた「丈夫の飾り」事件が晏嬰を一躍国内で有名にします。
「丈夫の飾り」とは、女性が男性の服装をしてもてはやされた時期があったみたいです。

 

これには一部の官民から、男女のけじめや浪費につながり良くない、との意見もあったのですが、霊公や周りの美妾も行なっていたので、止めるに止めれず、言うに言えず、、、となっていましたが、父 晏弱が霊公を諌め、なんとか中止する流れになります。

 

ただ、中止を民に告知するんですが、みんな辞めないんですね。
霊公としてみても、

 

「中止」

 

って言っているのに、辞めないので、意地になります。
遂には、刑罰をつくり、実際に処罰していくのですが、それでも辞めない。。。

 

そんなイライラしている時に、目の前にいる側近衆の晏嬰に目が止まります。
ここで、霊公が晏嬰に

 

「なんかいい案ない?」

 

と聞くと

 

晏嬰「言っていいですか?」
霊公「いいよ」

 

となり、
晏嬰「牛首を門にかけて、馬肉を内に売る」

 

という例え言葉をいいます。
どういうことかと言うと、

 

「いやいや、民に中止といいながら、霊公の美妾とか辞めてないじゃん」
「それ、民にバレてるから」
「商売でいうと、牛売ってますよ~って言って、実際は馬肉売っている様なもんですよ」

 

これに霊公、内心、ちょーーーーー切れるんですが、
普通だったら、その場で打ち首、一家滅亡レベルですっっっw

 

結局、晏嬰の言葉が突き刺さったのか、精神誠意、霊公のために命がけで注進した気持ちが通じたのか、美妾にも中止を呼びかけ、男装が止みます。

 

これにはさすがに晏氏一族も一目します。
言葉の勇気ですね。

 

小説では「これほどの勇者をみたことがない」
と賛辞します。

 

その後の晏嬰

その後ですが、晏嬰が28~9歳ぐらいに、父 晏弱が亡くなります。
当時、亡くなると子は、喪に服すのですが(偉くなればなるほど、盛大に葬儀など行ったみたいです。これで家計が圧迫して離散した家もあるぐらいっっw)、

 

晏嬰も同様に喪に服しますが、ただの服しかたではありません。

 

小説では、
「牆壁に木をさしかけて小屋をなし、みずからはあら布の喪服に、あさの絰帯をまきつけ、粥を食い、草を枕として...」

 

と書いてある様に、めちゃくちゃ質素な形で3年やり切ります。
これが本当の昔からある喪の服しかたみたいです。

 

晏嬰は、今の貴族などの葬儀が、盛大になりすぎていることを実践して否定するんですね。
ちなみに、喪に服している間に、晋とまた戦いになり、晏嬰が服している臨淄城下まで晋に攻められます。

 

晋の軍勢ですが、
喪に服している晏嬰を見つけてるんですが、あまりの父を想う心に、晋の将軍たちも心打たれて、逆に「ここには手をだすな」と厳命するくらいです。

 

まぁ、晏嬰の肝っ玉座っています。
晋の軍勢、退けちゃいますからね。

 

その後の晏嬰ですが、
霊公が亡くなり、子の荘公の時代には「ただ勇力をもって、天下に名をあらわした者がいるか」と聞かれ、

 

「死をものともしないで礼を行うものを勇といって、更に、悪い強きものに立ち向かうことを力、これを勇力って言うんだけど、荘公は、暴力だけで礼儀ないよね」
と諫言したり、

 

後ほど、斉でクーデターがあり、崔杼という大臣が荘公を殺害し、実権を握った際に、自分に味方しない高官など、バシバシ殺害していったのですが、
晏嬰にも「味方しろ」と迫るんですが、声を大にして断ります。

 

断られた崔杼ですが、晏嬰を殺害しようと考えるのですが、国民からの人気が抜群にある晏嬰を憚り、殺すことができません。日頃の行いが自身を守っているんですね。

 

また、景公の時代には、楚国に使者として向かった時に、当時の楚王は事前に晏嬰の背丈が小さいことを知り、からかってやろうと、使者が潜る門を二つ用意しました。

 

一つは、正門で通常の門ですが、
横にもう一つ、小さな門を作って、
そこを潜らせようとします。

 

ですが、晏嬰、大喝します。

 

「狗の国にきたんだったら、この狗の様な門をくぐるけど、国の使者としてきたんだから、正門通せよ」

 

こんな感じで、宮城谷昌光先生の「晏子」では、晏嬰の人柄などがうまく描かれています。
今回、だいぶ端折って書いてしまいましたが、是非読んでみてください。
ボクももう一度読み直して、時間ある時にでも追記してみます。