歴史は語る、時代は語る・エンジョイ!小説

長曾我部元親を司馬遼太郎先生「夏草の賦」でアツく語ってみる(その3)

 

なんか、元親の心情を思いながら書いていたら三部作になってしまいましたっっw
どうかお付き合い頂ければ幸いです。

 

第一部/長曾我部元親の初陣(長浜合戦)から本山・安芸家との戦いまで
第二部/長曾我部元親の土佐統一からの阿波・伊予出撃、そして本能寺の変

 

織田信長からは「四国切り取り次第」と阿波・伊予攻めの了承ももらい、バシバシ占領していったのですが、突然信長の気が変わり、一点、阿波・伊予・織田軍の連合軍を敵に回してしまった元親っっっw

 

長曾我部家、滅亡のピーーーーンチ!

 

です。
阿波・伊予に攻め込んでいた長曾我軍が、時期が経つにつれて、劣勢にどんどん立たされていきます。
元親も、信長の気性を知っているので、一度逆らったら、とことんやられることは分かっているので、後は、最期まで戦うのみ。
なんとか一矢報いようと、死を覚悟して戦っている最中に、

 

本能寺の変

 

が起きます。
この事件で、政権が織田から豊臣に変わりますよね。皆さんもご存知かと。

 

本能寺の変後

そして、小説によると、この政権の移り変わりは、

 

わずか11日

 

だったみたいです。
このこともあり、阿波・伊予・織田軍の連合軍は勢いが止まります。
織田軍は、もうこんなことやっている場合じゃないですからねっっっw
最大のピンチを切り抜けたと思った元親。

 

これで安心します。

 

兵を一旦休息させ、しばらく経ってから再度進撃を開始。
ただ、この間に、事件は起きていました。
というか、この後の元親、そして長曾我部家の運命が決まる出来事が。。。

 

三好康長(法名 笑巌)

三好康長(法名 笑巌)という人物が、長曾我部元親に立ちはだかります。
この人物、阿波・河内に拠点を持っているのですが、今回の阿波攻めでもちろん長曾我部軍に攻め込まれた人物。

 

実は、織田軍が急遽合流してきたのも、三好康長の外交力も一つの要因なんですね。
要は、

 

「長曾我部元親、このままほっといたらヤバイっすよ!」
「助けてくださいよーーー」

 

な、感じで、時の権力者を動かす能力、抜群です。
そんな人なんで、織田から豊臣に政権が変わったことをいち早く察して、
速攻で秀吉に面会を求めます。

 

「長曾我部元親、また攻めてますよっっっw」
「勘弁してほしっす!」
「たぶん、明智光秀と裏で組んでたと思うんすよ」
「本能寺の変の協力者っすよ、あいつ」

 

豊臣秀吉も、表向きは上様(信長)の仇討ちで天下取ったので、そもそも上様が計画していた四国討伐と、確かに、明智家と仲が良かった長曾我部家、協力していたことも考えられます。
そして、元親、

 

政権が変わったのに、未だに秀吉に挨拶の一つも寄越さないっっっw

 

秀吉からして見れば、いい気分ではないですよね。
それよりも、すぐに挨拶にきて、助けを求める三好康長の方が、可愛げがある。。。

 

ということで、三好康長側に好意を抱くんですが、
さすがの秀吉も、この時は、明智光秀を倒したばかりで、やることも多く、まだ織田家筆頭の武将もいて、主導権争うの真っ最中です。
有名な話が

豊臣政権と清洲会議

 

清洲会議

 

ですよね。三谷幸喜監督の映画にもなりました。
そんこんなしている内に、長曾我部軍、2万近くの兵を集め、阿波統一に向けて大軍で押し寄せます。

 

阿波、滅亡の危機。

 

これに立ち向かったのが、三好家家臣

 

十河存保
別名「鬼十河」

 

約五千の兵で立ち向かいますが、激戦の末、長曾我部軍、念願の阿波統一。
ただ、この間にも時は動いています。
秀吉は、清洲会議で優位に立ち、その後、

 

柴田勝家

 

を倒し、そして

 

徳川家康

 

と和睦。紀州も降伏させています。

 

一度、秀吉配下の仙石権兵衛に長曾我部討伐を任せるのですが、元親、これを撃破!
長曾我部軍、強い!

 

豊臣秀吉の四国攻め

状勢が落ち着いてきた秀吉、
いよいよ、四国攻めに本格的に入ります。

 

総勢およそ八万。

 

対する、長曾我部 四国軍、約四万
総出で立ち向かおうとしますが、

 

先鋒には、あの名将 黒田官兵衛

 

元親の策略も、さすがの黒田官兵衛には通じませんっっっw
四国、上半分の方々から軍勢が攻め寄せてきます。。。
長曾我部軍からしてみれば、どこから防げばいいのっっっw

 

元親、
二十年かけて、土佐から四国統一までと駆け上がってきましたが、
この天下の勢いにはさすがに立ち向かえませんっっっw

 

全軍総出で立ち向かいますが、
毛利軍、宇喜多軍と、さらにぞくぞくと参戦してきます。

 

夏草の賦

もう、劣勢、劣勢、劣勢、れぇーーーーーーーーーーっ勢ですっっっっw

 

この間に、元親配下の

 

谷忠兵衛が、

 

谷「殿(元親)、これは・・・降伏ってしないですよね??」
元親「最期まで戦うよ」

 

と一回、元親に聞いてみます。
配下からしてみても、どう考えても勝てないっっっw
この間にも、兵はバタバタ死んでいきます。
そうこうしているうちに、
羽柴秀長より、降伏の使者がきます。

 

谷忠兵衛的には、この使者と、周りの配下を口説き、再度、元親に降伏の説得を試みます。

 

結局は、

 

「いま、降伏すれば土佐は安堵」という内容で降伏するのですが、

 

なぜ?最初から降伏しなかったのか?
長曾我部元親からしてみれば、二十年、
兵を借り出し、死者も出て、四国統一しましたが、今更、土佐一国に戻ってしまっては、二十年戦ってくれた配下へ褒美は出せません。

 

領土であり、金品であり、名誉であり、

 

何かしらの立身出世を夢見て、多くの配下は付いてきてくれています。
そうなると、人心が元親から離れていきますし、
最悪、殺されることもあります。

 

元親的には、最期まで戦う、という姿勢を示す必要があり、配下が「もうダメじゃね?降伏した方が良くね?」と言ってくれた方が、いいわけです。

 

という感じで、
最後は、配下も「殿、降伏しましょう」
ということになり、元親も「ちっ、お前らがそんな感じだったら、しょうがない」風で
降伏します。

 

この後の長曾我部家は、豊臣政権に組み込まれ、その後九州征伐(島津家)などに参戦します。

 

二十年かけて四国を統一したのに、時の権力者に振り回された長曾我部元親。
どういった心境だったのか。。。

 

司馬遼太郎先生の「夏草の賦」
面白いので是非読んでみてください。