歴史は語る、時代は語る・エンジョイ!小説

真田幸隆を火坂雅志先生「真田三代」でアツく語ってみる

 

火坂雅志先生の「真田三代」面白いですよ~
NHK「真田丸」では、真田昌幸、信之(信幸)そして真田幸村(信繁)などが登場して、人気を博しましたね。
特に真田昌幸役 草刈正雄さんの表裏ある役は、面白くボクが想像している昌幸っぽい感じがして非常に面白かったです。

 

歴史小説 真田三代

歴史小説 真田三代ですが、幸隆、昌幸、信之・幸村などの三世代を通して書いた小説です。
時代・世代がかわりながらも、巨大勢力に挟まれ、揺さぶられ、利用され、
時には、真田としての考え方も変わってくる場面もあるのですが、

 

結局は、独立不覊

 

真田らしさを忘れずに、相手に屈することなく最後まで戦います。
武田、北条、上杉、徳川など、天下豪傑、大陣営、巨大勢力に挟まれて、

 

普通に、
のほほんと、
生きていけるワケがございません。

 

前日飲みすぎたから午後出 とか、
プレミアムフライデーだから15時終わりに とか、
LINEで既読スルーされてショック とか、

 

そんな甘いこと言ってる場合じゃないんです!

 

寝ても覚めても、
領土、領土、領土です!

 

国が、土地が、
欲しいんじゃーーーーー!

 

です。

 

真田家、一千貫ゲット!
するために、武田家傘下に入り、疾風怒涛の大立ち回りする、今回は、
真田幸隆について書いみようと思います。

 

では、
おのおの抜かりなく

 

滋野一門 = 真田家

そもそも、真田家の過去はどうだったのか?小説でも触れていますが、元々は、滋野一門の流れを汲んでいます。鎌倉時代から続く信濃国の古族みたいなのですが、
その滋野から

 

海野氏
望月氏
禰津氏

 

に分かれた(滋野三家)内の海野氏の流れを汲んでいます。
真田を名乗ったのは、真田丸でもやってたと思うのですが、元々、小県郡真田郷を根拠地にしていた為「真田」と称するようになったみたいです。
そもそも、その海野氏は武田信虎(武田信玄・晴信の父)も参加した連合軍に滅ぼされています。
なので、真田幸隆としては、今はやむ得なく武田に付いていますが、
気持ちは

 

「武田、何するものぞ」
「いつか復讐してやる」
「今は、真田家の発展のため、武田を利用するだけよ」

 

な感じです。
そして、幸隆が活躍しているときは、既に武田家も、信虎を追放して、
武田晴信の時代になっています。

 

真田幸隆

武田家としては、もっか勢力拡大中のイケイケ!
名将揃いの連戦連勝!

 

と来ていたのですが、ある時、
武田軍は、猛将 村上義清 率いる村上軍と戦い、ここで大敗します。
世に言う、

 

砥石崩れ

 

もちろん、真田幸隆も既に武田傘下なので、この戦いに参加していました。
そして、武田晴信からは、

 

「この砥石城、落としたら一千貫あげるよ」

 

と真田と約束してたんですね。
武田としては、それだけ重要拠点。
真田としても、千載一遇のチャンス!!
復活の狼煙!
発展のチャー~んす!

 

で必死に戦ったのですが、村上軍も強い!
そして、結局は前述の結果に。。。

 

ただ、真田幸隆、
これで諦めません!
一千貫の夢、諦めません!

 

普通は負けたので、この約束も反故になりますよね。
しかも大敗!

 

真田に責任があるわけではありませんが、武田家としては相当の痛手です。
板垣信方、甘利虎泰などの名将も討ち取られています。

 

真田幸隆、ここで一大勝負に、
真田単独での砥石城攻略を申し出ます。

 

ここで失敗したら、完全に武田軍の面目丸つぶれ
真田家は、責任を取らされ、恐らく一生日の目を見ない立場に落とされるのではっっっw

 

というぐらいの危険な賭け。

 

武田軍で落とせなかった城ですからね、それを真田単独で・・・
一世一代の大勝負!
一族総出で勝利を勝ち取るために戦います。

 

でも、
幸隆には勝算はあったみたいです。

 

それは、この砥石城を作ったのは、実は、
真田幸隆なんですね。

 

昔、自身で築城して、その後に敵に渡った城。
つまり、間道や城の配置、水、井戸、など、勝手知ったるもの。

 

幸隆の弟、矢沢頼綱と共に、戦略会議。
そして、敵方への調略してーーーーの、夜襲。。。
小説では、砥石城攻略を面白く書いているので是非読んで見てください。

 

城内を乱しての、夜襲、突撃で、

 

砥石城陥落!

 

これで、真田幸隆の名が一気にあがります、
なんせ、あの武田晴信が落とせなかった城を落とした訳ですからね。
武田家の中でも、周りの重臣から一目置かれるようになります。
重臣からしてみれば、真田一族は、途中から配下になった存在なので、あまり信用も、実力も認められていませんでした。

 

そして約束の一千貫、
げっッッッッッット!!!
ボーナス確定!

です。

 

真田安房守昌幸が人質に

これで真田家は、砥石城を中心とした上田盆地に居を構えるようになります。
この時の真田一族主要メンバーは、

 

真田幸隆
矢沢頼綱(幸隆の二弟)
常田隆家(幸隆の三弟)
源太左衛門信綱(幸隆の嫡男)
徳次郎昌輝(幸隆の二男)
源五郎昌幸(幸隆の三男)

 

こんなメンバーです。
源五郎昌幸が、後の真田安房守昌幸ですね。

 

真田家としては、信濃を逐われてから約十年。
やっと取り返した地です。
一族が集まり、祝いです!

 

酒です!一気飲みです!
ある種、勝どきあげます!

 

そして
この家族団欒の中、幸隆が言います。

 

「源五郎、お前、甲斐に行け」

 

母 菖蒲ノ前「えっっっっっっっーーーー!急に!?」
要は、武田家に人質として後の昌幸を差し出す、ということなのですが、
周りからは、

 

「いやいや、武田家から今回の活躍とかで大分信頼獲得してるから大丈夫っしょ?」
「逆に、人質とかやったら、真田、卑屈感丸出しっしょ」
「舐められるでしょ」

 

など、反対意見もでますが、幸隆的には、

 

「いや、この活躍でかなり注目されてる、ということは嫉妬もある」
「なので、もう一歩踏み込んで忠誠心を示しておく」

 

というのが幸隆の考え方です。

 

当時は、
長男は、一家の後継として大事な存在、
次男は、長男のサポートか右腕的存在、
そして三男は、仏門に入るか、人質など。

 

こんな感じでしたから、昌幸の人質は当たり前の考え方なんですね。昌幸が居なければ、次男 昌輝がこの役目になります。要は長男が最重要で後は、その長男を守るための予備人員みたいなもんです。
生活環境も良くなかったですから、産まれて大人になるまでに病気で亡くなる、というケースも非常に多い時代です。なので、まずは生きて大人になる。というのが大事。そして子はたくさん産んでおく。
病気で、戦争で、事故で、いつ何時、どんなキッカケで亡くなるかわかりませんからね。

 

多ければ多い方がいい。という感じです。

 

結局は、源五郎は、甲斐 躑躅ヶ崎へ人質へ。
後々のことを考えると、ここで源五郎こと昌幸ですが、人質に行ってなければ、あの名将は誕生しなかったかもしれませんね。
人質として送られた源五郎こと昌幸ですが、その後、武田信玄に気に入られ、奥近習衆になり、信玄近くで使えるようになります。

 

ちなみに奥近習衆とは、
信玄が、若い有能な人材を将来の武田家の幹部に育てるために、選出して教育していく制度です。昌幸はその一人に選ばれるんですね。
武田信玄から直々に戦略などを教えてもらえるので、ここで後の戦略眼が培われていきます。真田家の才能と、武田信玄の才能が詰め込まれていくんですね~

 

川中島合戦

そして、その後の真田幸隆ですが、もっか最大の敵、
村上義清の勢力を削ぐために、

 

調略、調略、調略、調略、ちょーーーーりゃくぅぅぅぅ!

 

です。
そして東信濃から北信濃にいる地侍たちを切り崩していきます。
要は、村上勢力をどんどん切り崩していくんですね。
武田軍としては、上へ上へと勢力を伸ばしていく感じになります。
結局は、猛将 村上義清も、味方だった地侍が武田に従えていくのを止めることができず、ついには城を捨てて逃亡します。

 

そして、この勢力拡大が、さらに上に位置している越後の上杉軍を刺激します。
後の川中島合戦に発展していくんですね。
逃亡した村上義清も、上杉こと長尾景虎に頼るために越後に行きます。
当時は、信濃やその他、武田勢に逐われた勢力は、長尾景虎に頼っていました。

 

長尾景虎(のちの上杉謙信)的には、

 

「いやいや、武田晴信、欲出しすぎじゃね」

 

な感じです。
で、この越後と信濃の間にある川が、

 

川中島なんですね。

 

なので、自ずとここが決戦の場になります。
武田に逐われた信濃勢たちの領地を取り戻すために立ち上がった

 

上杉軍こと長尾景虎と、

 

せっかく獲った、信濃領を守るべく戦う

 

武田軍こと武田晴信

 

の戦いですね。
もちろん、真田家も総出でこの戦いに参加しています。
真田の拠点も信濃ですからね。ここを上杉軍に取られてしまうと、自ずと自領も無くなる可能性大ですっっっw
小説を読んでみると、戦いは、長尾景虎に軍配があがりますが、
負けても退かない武田晴信(退いちゃうと世間的にも負け、認めちゃいますからねっっw)

 

気合いで維持します。

 

晴信は、戦いで領地を一旦取られても、政略と戦いをうまく組み合わせてすぐに取られた領地を奪還します。

 

まさに一進一退ですね。

 

ただ、武田軍としてもこの戦いだけにこだわっているワケにも行きませんので(晴信としては、あわよくば越後に進出して海・港を保有したかったんですね)、途中、今川義元や将軍 足利義輝などが間に入り和議を結んだりと、戦ったり、和議をしたりと繰り返して行きます。一歩的に和議を破っていたのは武田軍なんですがっっっw

 

後に武田晴信は出家し、武田信玄として名を改めます。
そして真田幸隆もこれに習い、髪を剃って、一徳斎を号することになります。

 

その後も真田幸隆は、盛り立てて来た真田一族、そして信濃の領地を守るべく、西へ東へと武田の一軍として戦い続けます。
小説の中でも、真田幸隆の恩人、箕輪城 城主 長野業政 とのやりとりはアツい!

 

真田幸隆としては、過去に行きつくところもなく流浪していた所を養ってくれた恩人。
ただ、今は武田軍として、武田信玄の命令でここを制圧しなければならないっっw

 

長野業政のセリフ「捨ててくれるな、漢の誇り」
カッコいい!お互い大勢力に挟まれて生きてきた両者(長野業政と真田幸隆)ならではの会話のやりとり、苦労が垣間見えます。

 

火坂雅志先生「真田三代」是非読んでみてください。
真田幸隆の最後は、武田信玄よりも長生きをして、六十二歳で亡くなったみたいです。

 

法名 笑傲院殿月峯良心大庵主

 

次回は真田昌幸について書いてみようと思います。

 

では、
おのおの抜かりなく